福岡高等裁判所 昭和60年(行コ)17号 判決 1988年6月29日
控訴人 筑紫税務署長
代理人 金子順一 末廣成文 ほか三名
被控訴人 高野紘宇
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
一 控訴人は主文と同旨の判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
二 当事者の主張は、原判決三枚目表三行目の「以下」の前に「昭和五四年法律第一五号による改正法、」を、同行目の「二六条一項」の次に「、同改正附則二条、一〇条」をそれぞれ加え、被控訴人の補足主張として「本件のように措置法二六条一項を適用したことが計算誤りによる錯誤にもとづく場合でも計算方法の変更が許されないとするのは、最高裁判所の「錯誤が明白かつ重大であり、所得税法の定める修正又は更正の請求以外に是正を認めなかつた場合、納税者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合にのみ民法上の錯誤を認めるべきである。」、換言すれば、「錯誤は、修正申告又は更正の請求によつて是正し得る」とする判例(昭和三九年一〇月二二日判決、民集一八巻八号一七六二頁)を無視したものである。」を加えるほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
三 証拠 <略>
理由
一 当事者間に争いのない事実は、原判決一三枚目表二行目から同一四枚目裏二行目までの記載と同一であるから、これを引用する。
二 次に、本件における争点及びその判断のための認定事実は、原判決一四枚目裏三行目から同一六枚目表九行目までと同一であるから(但し、一四枚目裏末行の「第一、二号証の各一、二、同」と一五枚目表三行目から九行目までの全部及び同一〇行目の「右」をいずれも削除し、同一一行目の「収支計算による経費」を「実際に要した経費の額」に改め、同枚目裏三行目の「経費」の次に「は」を加え、同一六枚目表五、六行目の「収支計算」を「実際に要した経費の額」に改める)、これを引用する。
三 ところで、措置法二六条一項は、医師の社会保険診療に係る必要経費の計算について、実際に要した個々の経費の積上げに基づく実額計算の方法によることなく、一定の標準率に基づく概算による経費控除の方法を認めたものであり、納税者にとつては、実際に要した経費の額が右概算による控除額に満たない場合には、その分だけ税負担軽減の恩恵を受けることになり有利であるが、反対に実際に要した経費の額が右概算による控除額を上回る場合には、税負担の面からみる限り右規定の方法によることは不利であることになる。但し、措置法の右規定は、確定申告書に同条項の規定により事業所得の金額を計算した旨の記載がない場合には適用しないとされているから(同条三項)、同条項の規定を適用して概算による経費控除の方法によつて所得を計算するか、あるいは同条項の規定を適用せずに実額計算の方法によるかは、専ら確定申告時における納税者の自由な選択に委ねられているということができる。
そして、納税者が確定申告において措置法二六条一項の規定により事業所得の金額を計算した旨を記載した場合(本件の場合は同条項の規定を適用する計算をしていることは当事者間に争いがなく、右記載がある場合と同視できる)には、所得税法の規定にかかわらず、同項所定の率により算定された金額をもつて所得計算上控除されるべき必要経費とみなされるものであることは同項及び同条三項の規定の文理上明らかであり、同条一項の規定が適用される限りは、もはや実際に要した経費の額がどうであるかを問題にする余地はないし、納税者が措置法の右規定に従つて計算に誤りなく申告している以上、仮に実際に要した経費の額が右概算による控除額を上回つているとしても、そのことを理由として、一旦確定された概算による控除額をその後の修正申告において(同申告の要件の範囲内においてであれ)、実額計算の方法による額に変更することを許容すべき根拠はない。
本件の場合、被控訴人の昭和五四年分事業所得中社会保険診療の関係で実際に要した経費の額が一九二六万四七八八円、措置法二六条一項の規定を適用した概算による控除額が一八〇二万五五四九円であるから、被控訴人の確定申告における選択の誤りを修正申告で変更できないとすれば、差引き一二三万九二三九円だけ経費を少なく、反面所得を多く申告する結果になるところ、被控訴人は、このような結果を容認することは、所得のないところに課税することになると主張する。
しかしながら、措置法二六条一項は、経費について実額計算の方法と並んで概算による控除の方法を定めたものであつて、両者の間に優劣があるわけではなく、いずれの方法によつて算出された所得も等しく法律上の課税標準たるべきものであるから、所得のないところに課税することにはならないというべきである。
被控訴人は、本件のように、同条項を適用したことが、選択の判断資料とすべき実際に要した経費の額の算出過程における計算誤りに縁由する錯誤に基づく場合に、その後の修正申告や更正の請求において必要経費の計算方法の変更が許されないとするのは判例(最高裁判所昭和三九年一〇月二二日判決、民集一八巻八号一七六二頁)を無視するものであると主張するが、右の判例は事案を異にし、その判旨は本件に適切でない。
また、措置法二六条一項が社会保険医に対する税負担の軽減という目的を有することは否定できないが、必ずしもそればかりではなく、所得計算の簡便化、記帳事務からの解放に資する一面もあり、同条項の規定を選択した結果実際に税負担上有利になつたかどうかは同規定の適用を左右するものではなく、納税者が制度の利用を誤つたからといつて、その是正を認めなければ制度の目的に反するということにもならないというべきである。
なお、納税者が法定の申告期限までに収支決算を正しく終了していれば、経費について、実額計算の方法と措置法二六条一項の規定を適用した概算による控除の方法とのいずれを選択するのが税負担の面で有利であるかは容易に判断し得るのであるから、右選択の誤りによる不利益を避けることができるし、右のように所得計算の方法について納税者の選択が認められている場合において、その選択の誤りを修正申告の機会に是正できるとすれば、いわば納税者の意思によつて税の確定が左右されることになつて妥当でないというべきである。
四 してみれば、本件の場合、社会保険診療に係る必要経費の計算について、被控訴人が確定申告の際選択した措置法二六条一項所定の概算による経費控除の方法を修正申告において実額計算の方法に変更することは許されないものというべきであり、これと同一の見解に立つて控訴人がした本件更正処分等(<証拠略>によれば、これらの処分によつて納付すべきものと決定された税額の算出過程は正当なものと認められる)は適法である。
五 よつて被控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきところ、これと趣旨を異にする原判決は失当であつて、本件控訴は理由があるから、原判決を取消して被控訴人の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民訴法九六条、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤安弘 湯地紘一郎 簔田孝行)